• 凡そ國を理むる者は、務めて人に積み、其の倉庫を盈たすに在らず。古人云百姓足(いた)らずんば、君たれと奥にか足らん、と。但だ倉庫をして凶年に備ふ可からしむ。此の外何ぞ儲畜を煩はさん。後嗣若し賢ならば、自ら能く其の天下を保たん。如し其れ不肖ならば、多く倉庫を積むも、徒に其の奢侈を益さん。危亡の本なり、と。(六、二十五、一)
  • 且つ古より明王・聖主は、能く身に節倹し、恩、人に加ふる有り。二者を是れ務む。故に其の下、之を愛すること父母の如く、之を仰ぐこと日月の如く、之を敬すること神明の如く、之を畏るること雷霆の如し。此れ其の福祚遐長にして、禍乱作らざる所以の者なり。(六、二十五、四)
  • 貞観の初、太宗、侍臣に謂ひて曰く、人、明珠有れば、貴重せざるは莫し。若し以て雀を弾ぜば、豈に惜む可きに非ずや。況んや人の性命は、明珠よりも甚だし。金銀銭帛を見て、刑網を懼れず、徑(ただち)に即ち受納するは、乃ち是れ性命を借惜まざるなり。明珠は是れ身外の物なるに、尚ほ雀を弾ず可からず。何ぞ況や性命の重き、乃ち以て財物に博(か)へんや。群臣若し能(つぶさ)忠直を盡くし、國家に益有らば、則ち官爵立ちどころに至らん。皆、此の道を以て栄を求むること能はず、遂に妄に銭物を受く。臓賄既に露はれ、其の身を亦殞(いん)す。實に笑ふ可しと為す、と。(六、二十六、一)
  • 古人云ふ、賢者、財多ければ、其の志を損じ、愚者、財多ければ、其の過を生ず、と。此の言、以て深誡と為す可し。若し私にしたがひ貪濁ならば、止(ただ)に公法を壊(やぶ)り、百姓を損するのみに非ず、縦(たと)ひ事未だ發聞せずとも、中心に恆に恐懼せざらんや。恐懼既に多く、赤、因りて死を致す有り。大丈夫豈に苟くも財物を貪り、以て身命を害し、子孫をして毎に愧恥を懐かしむるを得んや。卿等宜しく深く此の語を思ふべし、と。(六、二十六、三)
  • 國家、数百萬貫の銭をあまし得とも、何ぞ一才行人を得るに如かん。(六、二十六、六)
  • 昔、堯舜は壁(ヘキ)を山に抵(なげう)ち、珠を谷に投ず。是に由りて崇名美號、千載の称せらる。後漢の桓霊二帝は、利を好み義を賤しみ、近代の庸暗の主為り。卿、遂に我を将(もつ)て桓霊二帝に比せんと欲するか、と。(六、二十六、六)
  • 貞観十六年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、古人云ふ、鳥、林に棲むも、猶ほ其の高からざらんことを恐れ、復た木末に巣(すく)ふ。魚、泉に蔵(かく)るるも、猶ほ其の深からざらんことを恐れ、復た其の下に窟穴す。然れども人の獲る所と為る者は、皆、餌を貪るに由るが故なり、と。(六、二十六、七)
  • 今、人臣、任を受けて、高位に居り、厚禄を食む。當に頷く忠正を履み、公清を踏むべし。則ち災害無く、長く富貴を守らん。古人云ふ、禍福は門無し、惟だ人の召く所のみ、と。然らば其の身を陥るる者は、皆、財利を貪冒するが為なり。夫の魚鳥と、何を以て異ならんや。卿等、宜しく此の語を思ひ、使用て鑒誠(カンカイ:いましめの手本)と為すべし、と。(六、二十六、七)
  • 貞観二年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、政を為すの要は、惟だ人を得るに在り。用ふること其の才に非ざれば、必ず理を致し難し。今、任用する所は、必ず須く徳行・学識を以て本と為すべし、と。諫議太夫王珪曰く、人臣と為りて、若し学業無くんば、前言往行を知る能はず、豈に大任の堪えんや。(六、二十七、四)
  • 人の性は霊を含めども、学成るを待ちて美と為る。是を以て、蘇秦は股を刺し、董生は帳を垂る。道藝に勤めざれば、則ち其の名、立たず、と。文本日く、夫人の性は相近し、情は則ち遷移す。須く学を以て情を飾り、以て其の性を成すべし。禮に云く、玉、琢(みが)かざれば、器を成さず。人学ばざれば、道を知らず、と。所以に古人、学問に勤むる、之を懿徳(イトク:美しくすぐれた徳)と謂ふ、と。(六、二十八、六)
  • 太宗曰く、朕、不善有らば、卿必ず記録するや、と遂良對へて曰く、臣聞く、道を守るは官を守るに如かず、と。臣、職、載筆に當る。何そ之を書せざらん、と。黄門侍郎劉キ進みて曰く、人君、過失有るは、日月の蝕の如く、人、皆、之を見る。設(たと)ひ遂良をして記せざらしむとも、天下の人、皆、之を記せん、と。(七、二十八、四)
  • 貞観十四年、特進魏徴上疎して曰く、臣聞く、君を元首と為し、臣を股肱と作す。齊藤契(君と臣との意志が合致すること)して心を同じくし、合して一致を成す。體、備はらざる或れば、未だ成人と為らず。然れば則ち首は尊高なりと雖も、必ず手足に資(よ)りて以て體を成す。君は明哲なりと雖も、必ず股肱に籍(よ)りて以て體を成す。故に禮に云く、人は君を以て心と為し、君は人を以て體と為す。心壮なれば則ち體舒(の)び心粛(つつ)めば則ち容敬す、と。書に云く、元首康(やす)きかな、股肱良なるかな、萬事興るかな。元首叢脞(ソウザ:ごたごたとして統一がない)なるかな、股肱堕(おこた)るかな、萬事やぶるるかな、と。然れば則ち股肱を委棄して、獨り胸臆(キョウオク:むね)に任じ、體を具へ理を成すは、聞く所に非ざるなり。(七、二十九、九)
  • 夫れ君臣相遇ふは、古より難しと為す。石を以て水に投ずるは(諫言を君子が受け入れるたとえ)千載に一たび合ふ。水を以て石に投ずるは、時として有らざるは無し。其れ能く至公の道を開き、天下の用を申(の内、心膂(シンリョ:心と背中、すなわち心力)を盡し、外、股肱を竭くし、和すること塩梅(物事をほどよく調和すること)の若く、固きこと金石に同じ者は、惟だ高位厚(高い位や厚い俸禄)のみに非ず、之を禮するに在るのみ。(七、二十九、九)