• 貞観二年、上、尚書右僕射封徳彝に謂ひて曰く、安きを致すの本は、惟だ人を得るに在り。此来、卿をして賢を挙げしむるに、未だ嘗て推薦するに有らず。天下の事は重し、卿、宜しく朕が憂労を分かつべし。卿既に言はずんば、朕将た安くにか寄せん、と。對へて曰く、臣愚豈に敢えて情を尽くさざらんや。但だ今の見る所、未だ奇才異能有らず、と。上曰く、前代の明王、人を使ふこと器に如くす。才を異代に借らずして、皆、士を當時に取る。豈に伝説(ふえつ)を夢み、呂尚に逢ふを待ちて、然る後に政を為さんや。何の代か賢無からん。但々遺して知らざるに患ふるのみ、と。徳彝慙(ざんたん:恥じて顔を赤くする)して退く。(三、七、三)
  • 貞観二年、太宗、房玄齢・杜如晦に謂ひて曰く、卿は僕射たり。當に朕の憂を助け、耳目を廣開し、賢哲を求すべし。此(このごろ)聞く、卿等、詞訟を聴受すること。日に数百有りと。此れ即ち符牒を読むに暇あらず、安んぞ能く朕を助けて賢を求めんやと因りて尚書省に(みことのり)し、細務は皆左右丞に付し、惟だ冤滞の大事の、合(まさ)に聞奏すべき者のみ、僕射に関せしむ。(三、七、四)
  • 貞観三年、太宗、吏部尚書杜如晦に謂ひて曰く、此(このごろ)、吏部の人を択ぶを見るに、惟だ其の言詞刀筆のみを取り、其の景行を悉さず。数年の後、悪跡始めて彰はれ、刑戮を加ふと雖も、而も百姓巳に其の弊を受く。如何して善人を獲可き、と。(三、七、五)
  • 貞観六年、上、魏徴に謂ひて曰く、古人云ふ、王者は頷く官の為めに人を択ぶべし。造次(あわただしい)に即ち用ふ可からず、と。朕、今、一事を行へば、則ち天下の観る所と為り、一言を出せば、則ち天下の聴く所と為る。徳好の人を用ふれば、善を為す者皆勧む。誤りて悪人を用ふれば、不善の者競ひ進む。賞、其の労に當れば、功無き者自ら退く。罰、其の罪に當れば、悪を為す者誡懼す。故に知る、賞罰は軽々しく行ふ可からず、人を用ふることは彌々(いよいよ)須く慎んで択ぶべし、と。
    徴對へて曰く、人を知るの事は、古より難しと為す。故に積を考えてチュッチョク(考査)し、其の善悪を察す。今、人を求めんと欲せば、必ず頷く審かに其の行を訪ふべし。若し其の善を知りて然る後に之を用ひば、縦(たと)ひ此の人をして事を済す能はざらしむとも、只是れ才力の及ばざるにて、大害を為さざらん。誤りて悪人を用ひば、縦し強幹ならしめば、患を為すこと極めて多からん。但だ乱代は惟だ其の才を求めて、其の行いを顧みず。太平の時は、必ず才行倶に兼ぬるを須(ま)ちて、始めて之を任用す可し、と。(三、七、六)
  • 此者(このごろ)、綱維(国家の法度)、挙がらざるは、並びに勲親(勲功のあった者と天子の親戚)、位に在り、器、其の任に非ず、功勢相傾くるが為なり。凡そ官寮に在るもの、未だ公道に循(したが)はず、自ら強(つと)めんと欲すると雖も、先ず囂謗(ゴウボウ:やかましい非難)を懼る。所以に郎中の與奪、惟だ諮稟(シヒン:相談して命令を受ける)を事とす。尚書依違(どっちつかずでぐずぐずする)して、断決する能はず。或は聞奏を憚り、故(ことさらに稽延(時日を延引する)を事とす。案、理窮まると雖も更に盤下す(究明する)。去ること程限無く、来ること遅きを責めず。一たび手を出すを経れば、便ち年載を渉る。或は旨を希ひて情を失ひ、或は疑を避けて理を抑ふ。匂司(有司)、案成るを以て事畢ると為し、是非を究めず。尚書、便僻(ベンペキ:人にへつらってきげんを取る)を用て奉公と為し、当不を論ずる莫し。互に相姑息し、惟だ彌縫(うまくとりつくろう)を事とす。且つ衆に選び能に授くること、才に非ざれば挙ぐる莫し。天工、人代る、焉んぞ妄りに加ふ可けんや。イ戚(天子の外戚)元勲に至りては、但宜しく其の禮秩を優にすべし。或は年高くして耄及び、或いは病積み智昏きは、既に時に益無し、宜しく當に之を致すに閑逸を以てすべし。久しく賢路を妨ぐるは、殊に不可なりと為す。(三、七、八)
  • 貞観十三年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、朕聞く、太平の後には、必ず大乱あり、大乱の後には、必ず太平有り、と。大乱の後を承くるは、即ち是れ太平の運なり。能く天下を安んずる者は、惟だ賢才に在り。公等、既に賢を知る能はず、朕、又、遍く識る可からず。日復た一日、人を得るの理無し。今、人をして自ら挙げしめんと欲す。事に於て、如何、と。魏徴曰く、人を知る者は智、自ら知る者は明なり。人を知ること既に以て難しと為す。自ら知ること誠に亦易からず。且つ愚暗の人、皆、能に矜り善に伐(ほこ)る。恐らくは競(うきゃう:人情が薄く、人を退けてわれがちに競争すること)の風を長ぜん。自ら挙げしむ可からず、と。(三、七、九)