現代の覚者たち (致知選書)
真民, 坂村
致知出版社
2011-09-16


森信三/平澤興「生きることは燃えることなり」(続き)
  •  (平澤)山のてっぺんまで行くと賢うなったように思うけど、そういう賢さっていうのは大したことではないんだと私は思う。山へ登って見渡すと、見渡す限り、素晴らしい景色がある。自分の専門もちょっとかじっておるが専門ぐらいではなかなかものがいえないのですね。いえないということが、しみじみわかってくると、いよいよ、人生がおもしろくなりますね。
     わからんということは決してつまらんということじゃない。人生は九十近くまで生きても、それほどわからんことがあるほど奥深いものか、と改めてそこに、また新しい感動を覚えますね。
  •   (平澤)先を考えないほうがいい。いまが永遠のときだからね。今日一日の実行こそが人生のすべてです。それ以上のことはできない。
    (森)ああ、まさに、おっしゃる通り。一日は一生の縮図ですもんな。で、それを悟って粛然たる思いがするとき、初めて人は人生の真実の一端に触れるようですな。
    (平澤)私もね、先は考えない。その瞬間瞬間、喜んで生きておる。
  •  (森)バランスと同時に全面を固めるんですね。これを師匠に教わったんじじゃなくて、自分で編み出した。大局をみつつ、足元を固めていく。敵に足元をやられんようにね。これは(本因坊秀策の布石)もう、まったく哲学ですよ。哲学ってものはこういうふうに、世の中を生きていく上に、最も大事な大局観と同時に、足元を締めくくるという、その両面を学ぶのが真の哲学でなくちゃならない。
  •  (平澤)私は人間が真に事をするにはただ秀才、鈍才というような能力だけではなくて、むしろそれよりも大事なものがあるのではないかと思います。それは人柄です。その人柄のうちでも、なにが一番大切かというと、どうも誠実ということかと思います。「誠実だけではいかんよ。そう簡単ではないよ」といわれる方もいますが、大局的に長い目でみますと、やはり、誠実な人柄が最も伸びるんではないかと思います。
  •  (平澤)誠実というのは、愛情と努力といい換えてもいい。大きな仕事を成し遂げるのに最も必要なのは必ずしも才ではなく、むしろ多くの場合、物に対する愛情と努力です。偉大な仕事には必ず偉大な愛情と努力がある。
     ただ努力というと、ハチマキ式の堅苦しいことを思うが、足立先生のような人は仕事を楽しんでいる。仕事を楽しんでやるというのはのん気に要領よくやるということではなくて、自分の仕事に対して、つねに変わらぬ心の緊張を失わないということです。学者でも芸術家でも宗教家でも、真に偉大な人はこの無緊張の緊張を身につけ、むしろ働かずにはおれない人です。孔子も「知之者不如好之者、好之者不如楽者」といっています。
  • (平澤)彼(野口英世)が梅毒による精神病者の脳に病原体を発見したときは朝の二時か三時頃で、自宅でです。そこでカッポレを踊るんです。アメリカ人の奥さんは、カッポレがわからないから、いよいよ主人は気違いになったと心配されたという。
     昼間研究室で顕微鏡を見、家に帰ってまた夜通し顕微鏡を見るなどというのは、普通の人ならできないことです。一日八時間も顕微鏡を見たら、目が変になり、町へ出ても物が見えないくらいになるもんですよ。それを研究室で見て、また家へ帰って見たんだ。一万本の標本のうち、九千九百九十五枚目で梅毒病原体を見つけたんです。これは彼の誠実のたまものです。誠実というのは、ただ嘘をつかんということではなく、あくまでもわが道を貫くということです。
  •  (平澤)そういうふうにして見ていくと、実際の標本では、世界一の参考書にも書いてないわからぬことが二十ヶ所も三十ヶ所もあるということがわかったのです。つまり、世界一の参考書ですから、すべてを書いてあるかというとそうじゃない。書いてあるのはそれまでわかったことだけで、後はごまかしてサーッといってるんです。
     しかし、これによって、私は世界一の参考書といえども、それほどあてになるものじゃなく、実際の標本にはそういう本にも書いていない不明の神経群や神経細胞がいろいろなるということを、私は自分の目を通して、確実に知ったのです。いい換えると、たった一枚の標本でもこれを徹底的に確実に見ることによって、世界の研究がいま、どこまで進んでいるかということまでわかるということを知ったのです。
  • (平澤)「わかる」と「わかったつもり」は大いに違うと感じさせられました。モナコフ先生は、「ドクター平澤、わかったということと、わかったつもりは違うわね。標本を見るときは君がこれを初めて見るんだという目で見なければならんな」と。「本などというのは、どんな本といえども、それに頼ってはならん」といって褒めて下さいました。これは私にとって、生涯忘れ難い教訓です。
  •  (平澤)私は頭の回転が非常に遅いんだ。ただ深く考えることは、これは負けない。その点をみんな認めてくださり、「もっと賢くなれ」とか「頭の回転をもっと速くせよ」などというような先生は一人もおられなかった。これは、私にとっては大きな幸せでした。
  • (平澤)脳の表面に心の本部があるんだが、そこだけで約百四十億の神経細胞がある。これはエコノモーという人が本当に計算したんです。そういう素晴らしい頭をみんな生まれながらに持っている。しかし不思議なことに、いかなる天才もまだこの百四十億の細胞を全部利用した人は一人もいない。ということは使って使い切れないほどの神経細胞が用意されているのです。したがって、いかような時代になっても、人間が怠け者にならん限りはね、まだまだ頭のほうはいくらでも役に立つ。
     つまり、すべての子どもは生まれたときみな天才になるの可能性がある。できる子できない子なんていうのは現象論であってね、本質論でないわけ。問題は欲のない子どもに上手に興味を持たせるということがね、これは理屈ではいかん。怠け者のお母さんほど勉強せい、勉強せいっていう。本当に自分で勉強した人はね、要領よくやりますよ。