• ヒルティが終生にわたって言い続けたことは、人生で最も大切なものは哲学体系などではなく、個人の実践によって確固として深められた思想であるということです。
  • エピクテトスは奴隷だったので、主人が手か足とねじって折ってしまいました。「そんな無理をすると折れますよ。そら、折れたでしょう」と行ったそうですが、それは自分の足であって、自分でないという考え方です。極端に言えば、そこまで行く哲学です。ですから、自分の意志で「こうしよう」と思うことは自分ができることですが、その外にあることは、自分でないのだからしようがないと感じることができるような心を練ることなのです。
     たとえば、自分が朝、七時に起きて勉強しようというのは、自分の意志の中にあるので、これは自分でできることです。それから、人から褒められて喜んだり、けなされて悲しんだりする。これは自分の意志です。しかし、ほかの人が褒めたりけなしたりするのは自分の意志ではありませんから、ほかの人の自由です。簡単に言えば、それをどう受け取るかは自分の問題であるという、そこまで行く哲学です。
     つまり、自分でどうにもならないことについてくよくよ嘆いてもしようがない。自分でできることは何かということをいつも考える。…たとえばある状況があって、それを変えたいと思ったら、変えるために何かをやることは自分にはできる。けれども、変わらないのはしょうがない。そういう心の術を練っていた時代だったようです。
     人間は死ねば永遠の休息に入るわけですが、生きている間、どうするかという問題です。ヒルティは自分の体験から、働く喜びというのは、熟慮と経験からでなければ生まれないものである、と言います。そして、精神も肉体も働かせないで休息することはできない。適当に働けば休息があるので、働かないかぎり休息もない、と言うのです。
  • 「仕事の机につく、精神をそのことに向けるという決心が根本的にもっとも困難なことなのであるので、ひとたびペンとか、鍬を手に取って、最初の一線を引き、最初の一撃をくだすならば、すでにそのやるべき仕事は非常に容易になっているのである。それなのに、人はただ、仕事の準備だけにして(それはとりもなおさず、そういう人たちの怠惰のためなのであるが)、いっこう着手しない。そして、いよいよどうしてもやらなければならないとなると、時間が不足するためにあせる感情に襲われて精神的にも逆上するし、肉体的にもおかしくなったりして、仕事の差し支えになる」。
  • 仕事に対する興味は、仕事をしている最中にもっとも湧くことが多いものである。そして、自分の経験から見ると、仕事をやっている間に、あらかじめ考えていたのとは違ったものになるのが普通であって、休んでいる時は決して働いている最中のように充実した、全く違った種類の豊かな思想を得ることはない。だから、少しでもぐずぐずしないことが重要なのである。体の調子だとか、気が向かないとかを口実にしてはいけない。
  • この本(三宅雪嶺『宇宙』)の最後のところに、「天地に全功なし」と書いてあります。これは荀子の言葉ですが、ヒルティの言葉をずばり言い当ててもいます。「宇宙の中のどこを探しても、完璧などというものはない。いわんや、著述では、全部完璧ということはあり得ない」と。ですから、あきらめなければいけないのです。
  • ヒルティは常に「愉快な気分」ということを重視しております。どんなに哲学的に偉くても、陰鬱な気分になるような哲学ならろくでもない哲学に決まっていますし、どんな宗教家でも、その結果として陰気になったらしたら、これもまた駄目です。いつでも晴朗な気分でなければならないとヒルティは考えていました。
     彼は、それという教養がなくて、しかも単純な、はたから見れば退屈そうな貧しい人でも、毎日楽しげに働いている人たちに対しては尊敬心を持っていました。と言うのは、楽しく働けること自体が非常によい精神的生活を送っているので、その人たちの宗教、あるいは人生観はよいということなのです。だから、元気と愉快というのは、人生においてきわめて重要です。
  • 「仕事を変えた場合は、ほとんどの必要な休息と同様に、休んだと同じぐらいに回復するものである」。
  • 「多くの仕事をするためには、エネルギーを節約しなければならない。エネルギーの節約をするためには、無益な活動に時間を費やさない心がけが必要である。われわれが役にも立たない活動のために、仕事をするための気分とエネルギーをどれだけなくしているかは言葉にならないぐらいである。
  • 「仕事の本質というのは、本気でそれに夢中になると楽しくなる性質があるものなのである」。
  • 「前もって働いていない休息は、食欲のない食事と同様で楽しみがない。そして、もっとも愉快でもっとも報いられることが多くて、しかも一番金のかからない最高の時間の使い方は、常に仕事である」。
  • 「未来は働く者のものであり、力は常に働きに相応ずるものである」。
  • 「世の中には、われわれの力の及ぶものと及ばないものがある。われわれの力の及ぶものは、判断とか努力だとか欲望だとか、嫌悪感だとか、ひとくちで言えば、われわれ自身の意志の生み出すものすべてである。われわれの力の及ばないものは、われわれの肉体だとか財産だとか、名誉だとか地位だとか、われわれの意志の力の及ぶもの、すなわち意志の範囲のものは、その性質上、自由である。禁止されることも、妨げられることもない。ところが、われわれの力の及ばないものは、弱く、従属的で妨害されやすく、他人の手に握られているものである」。